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名古屋高等裁判所 昭和50年(ネ)518号 判決

控訴人

林盛行

右訴訟代理人

鶴見恒夫

鈴木秀幸

被控訴人

名古屋市

右代表者市長

本山政雄

右訴訟代理人

鈴木匡

外三名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金二一一万〇、〇〇五円及びこれに対する昭和四七年一月二八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は第二項にかぎり、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件建物は成萬梁及び李鐘大の共有であり、一階には二店舗と管理人室、二階には貸室九室が存したこと、控訴人は右一階の一店舗を賃借して喫茶店「スリーエイト」を経営していたこと、昭和四六年一二月二五日午後九時二二分頃本件建物の二階七号室金原靖方から出火したが、これを発見した隣人二名が消火器を持つてかけつけ、消火につとめたので消火したこと、右出火にあたり名古屋市熱田消防署員が消火活動のために出動したが、同職員らが本件建物に到着した時は、すでに消火後であつたので、同職員らは消火活動せず、出火原因の調査、残り火の点検等を行つて同日午後一〇時三〇分頃引き揚げたこと、翌二六日午前六時頃右七号室から再び出火して本件建物を全焼し、その結果、控訴人経営の喫茶店「スリーエイト」内にあつた什器備品等が罹災したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、まず、第一次出火の原因について審案する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

昭和四六年一二月二五日午後九時二二分頃本件建物の二階七号室において金原靖の妻由里子は台所の石油ストーブに点火して暖をとつていたところ、こげくさいにおいがしたので、石油ストーブの火を小さくしようとしてコツクをひねつたところ、突然大きな炎がでてストーブに火がついたような状態になり、その後水をかけたところ、ストーブの火は消えたものの、窓の近くにあつたガステーブルコンロの上一〇センチメートル位のところに炎が上つており、台所に隣接した六畳間の右石油ストーブから1.5メートル離れた場所で寝ていた同人の長女史が顔面に、同人のそばにいた長男龍次は露出していた両手及び下肢に、右由里子は下肢にそれぞれ二度の火傷を負つた。同人は前記の如く石油ストーブに水をかけ、更に隣人らがかけつけてコンロ上の炎を枕でたたき、また消火器で消しとめたので、台所の腰板の一部に煤がつき、同所にあつた応接椅子の裏側の布の部分や、寝ていた子供の布団の一部に火が着いたにとどまつた。右消火後に到着した熱田消防署の職員丹羽茂光が右台所付近を調べたところ、プロパンガスが漏出していたので、同人は元栓のコツクを締めた。なお、プロパンガスの空気に対する比重は約1.5倍で低い所に滞留するものである。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の認定事実によれば、第一次出火は、石油ストーブの火に漏出したプロパンガスが引火して発生したものと推認するのが相当である。

三しかして、控訴人は本件火災は第一次出火の残り火であると主張し、被控訴人はこれを争うので、次にこの点について審案する。

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

第一次出火の際、まもなく熱田消防署の職員らが消火活動のために出動したが、右職員らが到着した時はすでに右出火は消されていたので、消防署職員は消火活動をすることなく丹羽茂光他若干の職員を残して引き揚げた。そして、同人は、その後約一時間位出火原因の調査、現場の点検と検証をなして引き揚げた。また、出火原因の捜査に来ていた警察官中北敏明も実況見分をなし、前同日午後一〇時三〇分頃までに引き揚げた。そして、七号室の住人である金原靖方の家族全員は金原由里子らの前記火傷の治療のため、病院へ行き、また、来合せていた金原由里子の親戚の山田秋光は、右中北警察官から再出火の危険があるから七号室に泊るよう言われたけれども、右金原由里子らのことが心配になつたので、同警察官に病院に行く旨を言つて、同室に鍵をかけて同人も病院に赴いた。その後、同室は本件火災が発生するまで鍵がかかつたままであつた。同室は二階であり、窓は第一次出火の際破られたけれども、本件建物には庇がないからたやすく出入できない。本件火災後の警察官や消防署職員の実況見分によると、本件建物の七号室の東南にある押入れ(前記の石油ストーブの裏側)の床が他の場所に比較して「焼き」が著しく床が焼け落ちていた。また、第一次出火の際には、右押入れの戸は約四〇センチメートル開けられており、中には段ボール箱やふとん、毛布等が入れられていた。

以上の事実が認められ、第一次出火の際は、金原由里子が右押入れの戸をしめていたという供述を伊藤金正において聞いたことがある旨の〈証拠〉は前掲証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右の認定事実によれば、本件火災の出火場所は本件建物の二階七号室の東南にある押入れ付近であると推認するのが相当である。

また、本件火災が放火、漏電、ガス漏れ、タバコの火の不始末等によつて発生したことを推認させる資料は全く存しない。なお、この点に関して、前記〈証拠〉中には、右の各原因によつて本件火災が発生したものではないとはいえない旨の記載があり、当審証人も右同旨の証言をするけれども、右〈証拠〉はにわかに採用しがたい。

しかして、前記二における認定事実によれば、第一次出火の際のプロパンガスは七号室の広い範囲にわたつて拡散していたものと推認され、また、右に認定した事実によれば、同室の石油ストーブのすぐ裏側の押入れ(本件火災の出火場所)の戸が開いており、同所には燃えやすいダンボールやふとんが入れてあつたのである。

以上の認定判断によれば、本件火災は第一次出火の残り火が右押入れに存在していたため、これが再燃して発生したものと推認するのが相当であり、右の認定判断に抵触する〈証拠〉は採用しがたい。

なお、当審証人は残り火によつて長時間無炎燃焼が継続した場合には、いわゆる「くん燃痕」が残るものであるところ、本件火災現場には「くん焼痕」はなかつた旨を証言するのであるが、本件火災のように出火場所と推定される右の押入れの床が焼け落ちる程「焼き」が著しかつたのであるから、右の押入れに「くん焼痕」が存在しなかつたからといつて、本件火災が第一次出火の残り火であるとの前記認定判断の妨げとなるものではない。

四次に、被控訴人は消防署職員の消火活動について失火責任法が適用されると主張し、控訴人はこれを争うので、この点について検討する。

失火責任法の立法趣旨は、(一)失火者は自分の財産を焼失してしまうのが普通であり、各人それぞれに注意を怠らないのが通常であるから、過失について宥恕すべき場合が少なくないこと、(二)一たん火災になつたときは、木造家屋が多く、しかも建てこんだ住宅環境の下では、防火消防能力の不足と相まつて損害を意外に拡大させる危険性があるから、失火者は損害賠償請求にたえられないものであること、(三)わが国では、古来失火者に損害賠償責任を負わせない慣習があることなどが理由とされており、同法は右の理由で失火者に軽過失しか認められない場合には民法七〇九条を適用しない旨を定めたものである。

したがつて、同法の適用範囲を定めるにあたつては、同法の右の立法趣旨を勘案しなければならないものであることはいうまでもなない。

しかるに、控訴人の本訴請求は消防職員の消火活動における過失を前提とするものである。

しかして、消火活動を実施する消防職員は公権力の行使に当る公務員(国家賠償法一条)であり、消防法一条は「この法律は火災を予防し、警戒し及び鎮圧し、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、火災又は地震等の災害に因る被害を軽減し、もつて安寧秩序を保持し、社会公共の福祉の増進に資することを目的とする。」旨を、また消防組織法一条は「消防は、その施設及び人員を活用して、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、水火災又は地震等の災害を防除し、及びこれらの災害に因る被害を軽減することを以て、その任務とする。」旨を定めており、右の規定によれば、消防職員には国民の生命、身体、財産を火災から保護する責任があることが明白であり、しかも、消防職員は右の保護責任を負う専門家として、消防組織法二六条、二六条の二により消防に関する知識及び技能の習得並びに向上のために消防大学校又は消防学校における教育訓練を受けるべき旨が定められているのである。

したがつて、右のような消防職員の消火活動には高度の注意義務が課せられているものと解するのが相当であり、前記失火責任法の立法趣旨からしても消防職員の消火活動上の過失については同法の適用はないものといわなければならない。

そしてこれを本件についてみても、前記の失火責任法を適用すべき事情は全く存しないものというべきである。すなわち、被控訴人は本件火災によつてその所有財産を焼失したものではないこと、しかも、第一次出火に出動した熱田消防署職員は消防について専門的に訓練教育された職員であることは弁論の全趣旨により明白でありその消防活動上の過失については被控訴人に宥恕すべき事情は存しないものというべきである。また、右の消防職員は火災による損害の拡大を防止するべき任務を負つているのであるから、右職員が消火活動をして過失により残り火を看過したような場合に損害が意外に拡大したことによる免責を被控訴人に与えることは相当でない。更に、前記熱田消防署の消防職員の所属する地方公共団体(被控訴人)に損害賠償責任を負わせないという慣習が存することを首肯するに足る証拠もない。

五そこで、次に、第一次出火に出動した消防職員の過失の有無について判断する。

第一次出火は石油ストーブの火に漏出したプロパンガスが引火して発生したものであること、右のプロパンガスは本件建物二階七号室にかなり広く拡散したものであること、消防職員が本件建物に到達した時は、すでに第一次出火は消火されていたこと、プロパンガスは空気よりも重いために低い部分に滞留すること、第一次出火の時点で七号室東南の押入れの戸は開いていたこと、右押入れにはふとんやダンボール箱が入つていたこと、以上の事実は前記二、三において認定判断したとおりである。

したがつて、右のような場合に消火活動に出動した消防職員は、消防に関するその専門的知識を活用して第一次出火の原因を調査するとともに、プロパンガスが同室内に広く拡散したことを予見し同室内にある可燃物体に火が付着していないか否かを十分に点検調査するべき注意義務があつたものといわなければならない。

しかして、本件火災は七号室東南の押入れから出火したものであり、また右火災は第一次出火の残り火によるものであることは前記三に認定判断したとおりであるところ、〈証拠〉によると、第一次出火の際に出動した熱田消防署の消防職員は第一次出火は、右職員が本件建物に到着した時点ですでに消火されていたので、第一次出火の原因を調査し、実況見分をして写真を数枚撮影したのみで、前記プロパンガスが七号室にかなり広く拡散していた事実を看過し、更に同室の押入れの戸が開いていたのに同所の可燃物体に火が付着していたか否かを全く点検しなかつたこと、居合せた右七号室の関係者に対して再出火の危険がある旨の説示をしていないこと(右の説示は中北警察官が山田秋光に対してなしているのみである。)、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の認定事実によれば、第一次出火の消火活動に出動した熱田消防署職員には、残り火の点検、再出火の危険の回避を怠つた過失があつたものというべきであり、右の認定判断に抵触する〈証拠〉は採用しがたい。

六以上の認定判断によれば、被控訴人は控訴人に対して国家賠償法一条一項により損害を賠償する義務があるから、以下控訴人の損害額について検討する。

まず、控訴人は本件損害は一定割合の経年減価率を求め、これに年数を乗じた額を取得価格から控除した額であると主張しているが、本件のような造作内装工事や中古動産(以下一括していうときは本件動産等という)が焼失した場合の損害を右のように算定すべき根拠は見出し難い。

しかして、本件動産等の焼失による損害額の算定にあたつては、市場価格があれば、右動産等の再調達価格を個別的具体的に算定するのが原則であろう。しかしながら、本件動産等については、後記消耗品を除き市場価格が形成されていることを認めるに足る資料はなく、更に、個別的具体的な価格を算定する資料は存しないので、本件における右の損害額の控え目な算定方法として減価償却資産の耐用年数に関する省令(昭和四〇年三月三一日大蔵省令第一五号)及び定率法(残価率表)を適用して右損害額を算定するのが相当である。

まず、控訴人の主張する損害のうち喫茶店「スリーエイト」の造作内装は前記省令別表第一の室内装飾品(主として金属製以外のもの)と考えられるから、右の耐用年数は八年である。そして〈証拠〉によれば、控訴人は金三五〇万円を出捐して右の造作内装工事をしたこと、右の造作内装は本件火災で焼失したこと、本件火災時までに右の工事をした時から二年六カ月が経過していたことが認められるのでいわゆる定率法(残価率表)によつて右の現価を算定すると金一四七万三、五〇〇円となることは計数上明白である。

350万×0.421=1,473,500(但し控え目な計算として耐用年数八年の場合の三年の残価率を適用して算定)

次に、別表第一のパン、かんづめ、シロツプ、コーヒー、野菜類、白米、コーラ、マツチ、洗剤のいわゆる消耗品については、〈証拠〉によれば、控訴人は右の物件を右喫茶店内で所有していたこと、右の物件は同表記載の金額で昭和四六年一一、二月頃控訴人が取得したこと、右の物件は本件火災で焼失したことが認められるので、右の金額をもつて損害とするのが相当である。右によれば、右の物件についての損害は合計金七万〇、五〇〇円である。

次に、右の物件以外の別表第一記載の物件については、〈証拠〉によると、控訴人は右喫茶店内で右の物件を所有していたこと、右物件は本件火災によつて焼失したこと、右物件は右焼失時のおおむね二年六カ月位前に同表記載の金額で控訴人が買受けたものであることが認められる。

そして、右の物件は前記省令別表第一によると耐用年数はおおむね五年以上であることが認められるので、いわゆる定率法(残価率表)によつて右の物件の現価を算定すると金五六万六、〇〇五円となることは計算上明白である。

(2,325,500−70,500)×0.251=566,005(但し控え目な計算として耐用年数五年の場合の三年の残価率を適用して算定)

右の他に控訴人は別表第二の損害を被つた旨を主張するが右の損害は控訴人の主張に照らしても本件火災と相当因果関係に立つものとはいうことはできない。

更に、控訴人は喪失賃借権価格及び逸失営業利益も本件による損害と考えられるから、概括合理的推認をして控訴人の損害は金四〇〇万円を下らない旨を主張している。しかして、右の賃借権価格や営業利益は本件火災による控訴人の損害であると認められるが、右の具体的な額について、控訴人は何らの主張も立証もしないから、右の損害を本件の損害に加えることはできない。

七してみれば、控訴人の被つた本件損害は合計金二一一万〇、〇〇五円を下らないものというべきであるから、控訴人の本訴請求は右の金額とこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和四七年一月二八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべきところ、これを全部棄却した原判決は相当ではないからこれを主文掲記のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(白川芳澄 高橋爽一郎 福田皓一)

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